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【店主note】木村和平さんの写真集を見ていて思ったこと

12/14にinstgramに投稿した文章があまりにも長いのでこちらにアーカイブ。

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今日もOPENしました。

現在展示中の木村和平さんの写真集を見ていて「私写真が終わったのだなー。」と思った。

終わったというか、これまでの私写真の表現とは一線を越えて来たと言った方が正しいのか???

私小説を文字った「私写真」
日記のような、その作家の日々生きていることを表現に使った作品たち。

彼女を撮りました。
彼氏を撮りました。
妻を撮りました。
夫を撮りました。

っっっっほんっっっとに多くの上記の写真集を見て来たけど、私情が多すぎる私写真は、私はどうも好きになれない。SNSで日常を切り売りしている写真が多くなったせいもあるだろう。

70年代に始まった当時はSNSも無く、人の家に招かれて家族アルバム見るしか日常風景を見る事は難しかっただろうから、そりゃ人の新婚旅行の生々しい写真は新鮮だったのだろう。

でも今は芸能人じゃなくても、人は日常を切り売りしている。

私生活とは。
私情とは。
人に晒す部分とは。

そして.....写真表現とは。

木村和平さんの写真集は、特定の関係を持った誰かとの話しをしたい訳でも無い。

ただただ「写真の美しさ」だけ。

誰でもよかったのかもしれない。
作家が反応した光が身近にいた人に降り注いていただけなのだろう。

関係見せることがそんなに重要なのだろうか。
写真ってどういうことなのだろうか。

木村和平さんは本当によく悩み回答をしてくれたように思う。

本書は、日本写真史にとっても重要な1冊になるのではと思っている。

さ。今日も写真集愛はじめます。

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2020.12,21
追記...

日々研究。日々アップデート。日々検討・検証。
を、死ぬまでやっていたい店主です。

改めて自分のnoteを読み返して、自分の言いたかった表現が違うなと思い追記を。

「誰でもよかったのかもしれない。」
の所は、「誰」でもよかったではなく猫や家族、カバンに、壁紙、チューリップにグラウンド、何でもよかったの表現の方が正しかったと。

木村和平さんの周りにある美しいものたちに降り注ぐ光。

と、表現したかったのですが、説明を短縮しすぎたばかりか、実際言いたいことと正しい単語が使えておりませんでした。

自分の発言した言葉や文字に再度責任を持って、正しく表現していこうと改めて思いました。

という追記でした。