
【店主note】book obscura 2023 BEST BOOK
毎年年末になると顧客様たちとスタッフと今年のベスト写真集の話しで盛り上がります。
写真作品の内容はもちろんのこと、写真集としての存在への考え方。
装丁における作品の表現内容などなど、ありとあらゆる視点から1冊を考えて選ばせて頂いているのですが、今年は富澤大輔さんの『遊回』と山谷佑介さんの『ONSEN 1』が入りました。お客様たちと満場一致だったことが嬉しかったです。
それ以外にもランクインした5冊の写真集をご紹介します。
目次
====================
1、遊回 / 富澤大輔
2、ONSEN 1 / 山谷佑介
3、INSIEME / Irina Rozovsky(イリーナ・ロゾフスキー), Mark Steinmetz(マーク・シュタインメッツ)
4、THE END SENDS ADVANCE WARNING / Todd Hido
5、counterpoint / 木村和平
====================
⚫︎1、遊回 / 富澤大輔
これが「写真」です。これは「写真」です。
と、言いたい写真集。
私が日々使っている「写真」という言葉は、富澤さんの「遊回」そのもので、これが「写真」なんだよなと腑に落ち過ぎて困りました。
現代は「解りやすい写真」が反応を即座に得られるので、ご飯のうえに脂がのったマグロにイクラにウニに、たまご焼きものせちゃう!みたいな見た目も味わいも内容もてんこ盛りな事が多い気がします。
富澤さんの『遊回』は比例して「あごだしの汁」でしかありません。
「あごだしの汁」を飲んでも満腹になるわけでもなく、反応も薄いのでしょう。物足りなさや、一体これを飲んで?という気持ちになって、何を見せられているのか解らない人がほとんどになると思います。
ですが、これが大枠の「写真」なのだと思うのです。
写真という世界は先人の写真家が可能性を大きく広げたおかげで、奥行きも深度も物質的にも大変な大きさになっています。
大変な大きさだからこそ「ポートレイト」や「ランドスケープ」などに組み分けせざるをえないということです。
「ポートレイト」も大きい世界なので、その中でまた「女の子」といった組み分けされていく感じでしょうか。
そうやって、写真というものをある視点から例えると小さい世界に没入してしまう結果になります。
けども、富澤さんは組み分けされる前の大きな「写真」という世界の「写真」でしかなくて、そこで「回遊」という同じ場所を回っている訳ではなく、様々あ場所にジグザグと、時に瞬間移動なんかしちゃったりして「遊回」してしまっている人なのだろうなと。
誰かの姿や形、何かの風景に頼る訳ではなく、紛れもなく富澤さん本人でしかない写真に、これこそが写真なのだなと思ったのです。
12月に30歳になったばかりの若手が、同じ年のデザイナーさんと共同で作ってきた『遊回』を観て、日本もまだ捨てたもんじゃないなと。。。
紛れもなく、2023年の衝撃の1冊でした。
/////書籍情報/////
遊回 / 富澤大輔(Daisuke Tomizawa)
¥17,600 税込
https://bookobscura.com/items/653cd117808e2c1f457792a1
***
⚫︎2、ONSEN 1 / 山谷佑介
この1冊を観て「温泉」に「裸」で当たり前に入る「日本」という国民の認識と世界の認識は明らかに違うのだなと視覚で理解出来ました。
本書の中で女性たちが今まさに温泉に入っていく瞬間のような縦のモノクロ写真があるのですが、それを観ていわゆる「ヌード写真」と思えませんでした。
女性たちは明らかに「裸」であるのに、瞬間的なスナップで撮っているからか、ヌード写真というよりスナップ写真に見えるから?なのか、いわゆる性やフェティシズム、女性を消費するような「ヌード」には見えませんでした。
なぜだろうと考えると、私たち日本人は自然発生している温泉に普通に「裸」で入っていき、湯船にはタオルなどの布をつけてはいけないと教わります。
なので、温泉という場には「裸」のテクスチャー以外があると違和感でしかないのです。
温泉という場に「裸」でいることは、当たり前過ぎてなんの違和感がなかったということなのです。
アメリカの写真家Ryan Mcginleyが友人と旅した時に撮影していた、自然風景に裸でいる友人たちの作品はとてもセンセーショナルだったと思います。それは、同じ温泉があるアイスランドでさえ水着を着るのが一般的な思考の人々からしたらです。
本書を見ていると、ライアンやヴィヴィアン・サッセンがしてきた視覚表現に加えて、細江英公さんや奈良原一高さんがやってきた視覚が混じりあっています。
まさしく、西洋の人々が思っている「裸」と日本が考えてきた「裸」の考え方が今ここで混じり合ったかのように私は見えました。これは、日本写真史を大切に背負っている山谷さんらしく思う部分の1つです。
誰がライアンやヴィヴィアンと日本写真が混ざると解っていたでしょうか。包み隠す部分の違いを山谷さんは理解していたのか本当に素晴らしい作品集です。
/////書籍情報/////
ONSEN I / 山谷佑介(Yusuke Yamatani)
¥3,850 税込
https://bookobscura.com/items/643a5840dba437004d448dfc
***
⚫︎3、INSIEME / Irina Rozovsky(イリーナ・ロゾフスキー), Mark Steinmetz(マーク・シュタインメッツ)
IrinaちゃんとMarkのそれぞれの写真集を一緒に開いて楽しんでいた私にとって、2人が共同で写真集を作ってくれると思わず、2冊同時開きしなくても良いなんて!!!と個人的に本当に嬉しかった1冊。
イリナちゃんはいつも「境界線」を感じていて、それらを繊細に見ていると思っています。今回は「自然」との境界線もありながら、人の「境界線」にもチャレンジされているのかなと思いました。
まさしく「境界線」を乗り越えて「一緒に」なろうと。
これはもう言いたいことが多過ぎたので、youtubeで研究員と飲み会ならぬ「読み回」したのでアーカイブでご覧頂ければと思います。
/////youtube/////
book obscuLAB 所長と研究員の読み回vol.1
https://www.youtube.com/live/ITB53NzSII8?si=V92-ThLRYwbu2YyI
/////書籍情報/////
INSIEME / Irina Rozovsky(イリーナ・ロゾフスキー), Mark Steinmetz(マーク・シュタインメッツ)
¥7,700 税込
https://bookobscura.com/items/65a1ec200e07292896617325
***
⚫︎4、THE END SENDS ADVANCE WARNING / Todd Hido
Toddが全部デジタルに変えてきた!Leica SL2に望遠レンズ付けて撮影しとる!!!という事で気になって、見てみたら大判カメラでやってきたがデジタルでも出来ていて打ち震えました。
長年やり続けると、伝えたい事が明確になって本当にカメラはなんでもよくなるのだなと。
長年Todd様の写真集を見てきた人は、またこんな感じかと思うと思い、繊細な人は物足りなさを感じてしまう人もいると思います。
これまでToddを見続けた人ほど見比べると面白い1冊かと思います。
あまりにも素敵な写真集すぎて、この景色は北海道なら観れるのではないかと12月中旬に旭川に行ってTodd Hidoごっこをしてきました。
旭川にいって同じ様な風景を車で移動しながら探している時に目に入ってくる景色を見て、人間と自然の距離感が心地よい場所だなと思ったのです。
というのも、私自身の考え方として地球という家に「人間」の他に「自然」や「動物」などが間借りしていると思っていて、人間が住みやすいように「自然」が住まう環境を奪ってはいけないと言いましょうか、適切な距離感があると思っているのです。
なので、旭川に行った際に旭岳の山頂にも行ったのですが、私はやはり山の中や山の上だと、自然過ぎて人間が立ち入ってはいけない領域にいる気がして「申し訳ない、すぐ出て行きますので」という気持ちになりました。
なので、自然と人間が共存するうえで必要な距離感があると、自分の根底で考えなくても持っていた部分がTodd様の写真集と旭川の風景でやっと言葉にすることが出来ました。
人間と自然との境界線。
人間と自然との距離感。
どこが適切で、どこまでが許されるのかは人それぞれでTodd様の距離感があるのだろうなと。
Todd様のように車の中から景色を見ていましたが、画面に車の枠が入ると「自然を見ている」という視覚となってしまい「自然」と「人(自分以外)」にならず、自分が「自然」を見ている話しになってしまい、何か違うなと思いました。
Todd様も車のボンネットや窓枠、ダッシュボードなどが入らない様に注意しているのかなと。
自分の話しにしていないから、どんな鑑賞者が観ようと自分の景色になり、日本人の私は北海道に変換出来たのかなとも。
みなさんの中で自然と人間の距離感どのくらいですか?
/////書籍情報/////
THE END SENDS ADVANCE WARNING / Todd Hido
¥16,280 税込
https://bookobscura.com/items/65a1f13dc52ca90035c6f623
***
⚫︎5、counterpoint / 木村和平
これは販売しておらず、閲覧も不可なのですが。。。
富澤大輔のように「写真」の人もいれば、フィルム使わなくとも直接感光で写真やれるよ!と写真をやってくる濱田祐史みないな人もいて、そこに写真という「視覚」という認識が強い木村和平がいる。
この3人が現代に日本にいることに喜びを覚えます。
写真は本当に広い世界で、ただシャッターをきったものではないのです。
認識が何万通りもあるのです。
本書を手にして、木村和平さんが『灯台』『袖幕』から、特に灯台の最初と最後の写真から解っていた、彼の中での写真がここで形としても昇華してきたのだなと思った1冊でした。
というのも、彼が認識している「写真」を物体という塊にした時に「本」という普遍的な形が果たしてあっているのかという部分がありました。
どう視えるのか。どう視てもらうか。
繊細に考えている人だからこその行き着いたこの1冊に納得をし、「視覚」というものの考えの中での写真がまだまだ世界が広がるのかと思うと唯一無二の存在だなと。
本書自体もいろんな見方があり、箱庭のようにも、オルゴールのようにも、建物を作る時の模型にも見えたり、立体にすることで奥行きが変わって写真という平面が視覚的な違和感になったり。。。
写真が物質に変わった時の視覚表現の面白さか。
と、しみじみ楽しんでしまいました。
視る行為の延長線に何が存在しているのだろう。
これからも楽しみになるな。