【店主note】山上新平 写真展 「not yet...」に向けて
内なる泉の最初の1滴はどこにあるのだろう。
日本を感じる「花鳥風月」の思想。
それは、自然の美しさや風情を讃える言葉であり、古くからそれらに心情や感情を重ね合わせて唄などの芸術表現に変えて来た思想でもあります。
花鳥風月の「花」は植物を表す言葉でもあり「春」のはじまりの表現とも読め、「鳥」は動物をさす言葉でもありますが「秋」を指し示し渡っていく言葉でもあります。
気象の「風」を表す言葉でもありますが「夏」の涼しさを表現し、「月」は惑星をさす言葉でもあり「冬」の寂しさや夜、終わりを告げる言葉でもあります。
自然を愛でる言葉でありながら、始まりと終わりがある「命の一連」を指し示す意味にもなる「花鳥風月」。形以上の意味になるからこそ、短歌や俳句など短い言葉の中でも情景や心情を語る事ができ、日本の繊細な「美意識」を感じさせます。
この意識は「写真」にも通ずる部分だと認識しており、森を森として捉えるよりも遥かに深い部分を見つめることも出来れば、動く波を絶え間なく移ろう形以上の何かとして見つめることも可能にし、森や波よりも生命を感じやすい蝶という生きとし生けるモノをそれ以上の何かで語ることも出来ます。
なぜそのように見えてしまうのか。それは同じ体で復活をするのではなく、次に生まれ変わったら花かもしれず、虫かもしれず、砂かもしれないという「輪廻転生」という考えが無意識のはるか奥で湧き起こる源泉のように存在しているからかもしれません。
山上さんが見つめるものは、森や波、蝶という名前がつくまえの世界のように思います。名前がつけられる前は同じ細胞だったかもしれず、同じ形で、同じ命で、全ては延長線上に存在し、永遠に回り続けているのかもしれないからです。
私たち1人1人の中に存在する心よりも深い深い源流の先、どのような泉が存在し、最初の1滴はどこから生まれるのでしょうか。
見た目が無い世界を想像と創造してみましょう。