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【today's freak vol.2】世界が認めたアマチュア写真家・植田正治

【today's freak】は毎月、ある人物にスポットを当てて紹介していく特集ページです。

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植田正治 / Shoji Ueda (1913-2000)
出身:鳥取県(JAPAN)
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1913年、鳥取に生まれた植田正治さんは、英語にしてもUeda-cho(植田調)と呼ばれる植田さん独特の演出表現をこの世に残した、国内外から愛される日本を代表する写真家です。

1、生涯アマチュア!
生涯アマチュア写真家と名乗って地元の鳥取から離れなかった植田さんはいつも挑戦者でした。新しい技術に、新しい機材、全てに興味を持ち、写真という世界の可能性にとても熱いものを持っていました。

地方の文化を撮影して、"まだこのような文化が日本にも残っているのだ!"と作品を残す写真家に、プロと名乗っていくのにそれでいいのかと疑問をなげかけながら、地方の「気候・風土・文化」を取り入れつつも、前衛的な現代にも通ずるモダンなアート写真を撮り続けた結果、世界に名を轟かす写真家になりました。

現代では、有名な写真家がアパレルブランドとコラボレーションしてカタログを制作するというのはよくある事ですが、植田さんがTAKEO KIKUCHIのカタログ撮影をした当時は、有名な写真家を使うという企画は新鮮であり、こぞって様々な企業がコラボレーションし始める先端でした。

その写真は植田さんのシリーズの中で、植田さんの特徴である演出表現の例にあげられるほど有名な作品になっています。

余談ですが、同じ年に、かの有名なファッション写真家・Bruce Weberが自分の写真集を刊行する前である写真家として最も初期に日本のアパレルメーカーのカタログを西海岸の砂浜で撮影しています。

2冊を見比べると…砂浜と砂丘、色味も構図も似た箇所があり、ファッション写真家でもない植田さんがBruce Weberに引けを取らず渡り歩いてると思うと、植田さんの底知れない追求心とBruce Weberとの不思議な結びつきに驚きを隠せません。

Bruce Weberと同じ仕事をしていても、植田さんはアマチュア写真家と名乗っているのかと思うと、好きにならずにはいられません。

2、砂丘
植田正治さんの代名詞と言ったら、鳥取砂丘で撮影されたシリーズ「砂丘」です。

空と砂丘を使って自然のスタジオに仕立てた「砂丘」シリーズは当時、日本で流行っていた社会的なドキュメンタリー写真とは打って変わって、現代の私たちが楽しんで見ているアート写真の原点にもなりました。

あまりにも美しい世界観に土門拳さんなどの多くの写真家が、こぞって植田さんを訪ねましたが、荒木経惟さんの話によると、篠山紀信さんが砂丘の場所を訪ねた時に教えてくれはするものの1番良い場所は教えなかったそうです。

植田さんにとって砂丘は紛れもなく大切な場所だったのですね。

3、奥様
上記の砂丘で撮られた写真のモデルは植田さんの奥様。
植田さんは今でも現存している鳥取の境港市の植田写真場(現在・植田カメラ)を経営していました。

ですが、植田さんはすぐ撮影しにフラフラと出て行ってしまうので、結婚して早々に自分が習った写真の技術を奥様に叩き込み、奥様にシャッターを切らせていたそうです。

新婚旅行で立ち寄った東京では、新妻そっちのけでカメラ屋さんのショーウィンドウから離れない植田さんにそっと付き添っていたという話がとても好きです。

そんな素敵な奥様が植田さんより先に逝去された際は、植田さんは人を撮ることが出来なくなり「妻が亡くなった後の写真は無口になった」と語っています。

植田さんは多くの家族写真を残しています。写真に関すると家族そっちのけだったのかもしれませんが、本当にご家族が大好きで愛していたのだととても伝わって来ます。こんな家族写真を残せたらと憧れを抱かずにはいられません。

4、愛
植田さんの写真には、愛がたくさん詰まっています。
見るものを一瞬で舞台に引き込む植田さんの演出表現である植田調は、表現ではなく植田さんの愛だったのかもしれません。

植田さん写真集は何度見ても飽きません。毎回感動すら覚えます。

生涯アマチュアと名乗り挑戦し続けた植田さんの作品と人生を、その目でお確かめください。